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2008年7月20日初公演に寄せて

人はそれぞれ、あらゆるレベルの物事に異なった世界をみる。
自分が信じるものを他人が見るとき、自分自身が他人の信じるものを見るとき、 そこには埋められない溝がある。

思考のレベルやシステムの仕組みの違いは、私たちの中では大きな違いは無い。それにも関わらず、互いに意見を違え、仲たがいするということは、私達がいかにミクロな視野で生きているかを示している。
もちろん我々自身、己がそのような小さな存在であるという自覚が無いわけではない。
しかし、思いも及ばない世界があるという事実を知っていても、その実態を知ることは無いのだ。

認識のシステムや言語の構造に、それらの原因を見ることができる。
楽観的に考えると、これらはいつか解決される問題であるかもしれない。
悲観的には、人間は永遠に何も知ることが出来ないのかもしれない。

問題は、今現在の私達が、存在するはずの未知の世界に対してどのように行動すべきかである。

埋められない溝を飛び越えて、自己から他者に、そして世界に働きかけること。
これが私たちアーティストの成すべきことだ。

言語や額縁のように、作られたルールの中でのやり取りは、見るものの認識をその中に限定させる。それには暗黙の了解があり、その背後に見るものと、見る対象との間にある溝が存在する。

私たちは、相手に強く働きかけるために、見るものと見られるものとの溝を越えるために、暗黙の了解という安全地帯から一歩踏み出し、見るものたちの場所に踏み込む。
そして観客であるという安全地帯から、観客自身を見られるものへと変えていく。
作り上げたルールを、ひいては作り上げられた自己を壊し、他者に示す。

不特定多数の顔も名前も性格も知らない人々に対して、それを示し、伝えるということは、大げさな表現ではなく、命がけである。自分という枠組みさえも壊さなければ、溝を埋めることはできない。
使い慣れない楽器を手にして、既成の表現を用いずに、観客である人々に対峙するとき、私たちは、戸惑い、硬直し、立ち尽くす。

これは予定調和の出来事ではなく、私たちの選択によって生まれる私たち自身だ。

私たちが普段使っている、言葉や技術、あらゆるコミュニケーションの約束、パフォーマー、演奏者としての約束を取り去って 、私たちが観客を見つめるとき、私たち見られるものと、観客である見るものたちとの関係が揺れ動く。

そして私たちが観客となり、観客が出演者となるように、お互いがその立場を行き来し、この埋められない溝は埋まる。

そこには約束事は存在しない。
しかし、無視することのできない緊張と恐怖がある。
なぜなら、埋められない溝は埋まり、私たちも、見るものたちも、安全な場所にはいないのだから。

そのとき、溝を越えた音と表現は、何をもたらすのだろうか。

それら音と沈黙の重なり合う空間は、どこにも属さない音楽となるだろう。

(2008.村木正嘉)
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2008.11.27(Thu) - とりたまって何?





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